社員食堂を大いに活用してください。


 
社員のみなさんはご存じのとおり、本社工場(旧社屋)の2階スペースを新社員食堂にリフォームしました。単純に食事を取るための空間ではなく、自ら調理することができる機材を備えさせてもらいました。シンクや調理台、冷蔵庫、電子レンジなど料理に必要なモノはそろえていきます。そのための意見をドンドン聞かせてほしいと思います。
 さて今回、なぜこのような施設を社内に設けたのでしょうか。その理由を知り、大いに活用してもらえれば、私もうれしく思います。当社は各種加工機械などの製作会社です。それらを作るための機械や工場の設備の一点一点が会社の投資対象であり資材です。そして、一番の会社の財産は、言うまでもなく人材。恰好をつけてるわけではなく、本気で、ここでいっしょに働いてくれるみなさんが財産だと考えています。そこでは必要な投資を惜しむことはありません。
 たとえば「安全な職場環境」を作り、整えること──。安全な機械操作のための訓練や清潔な環境を作るための掃除、整理整頓、啓発活動、そのための時間を用意します。これも会社としての欠かせない投資だと考えています。
 そして「労働時間の管理」にも力を注ぎます。基本的な1日の就労時間は、現在8時間となっています。ノルマなどはもちろんありません。ただ、労働時間のなかで、自分の仕事をやり切ってもらいたいたいと願っています。「できなかったら〝 残業〟でカバーすればいい」などと、気持ちで逃げないでほしいと思います。残業が続けば、体力も集中力も維持するのは難しくなるのに違いないのです。そうした作業では製品の品質の確保は危うくなるでしょうし、何より社員みんなのケガという最悪の事態にもなりかねません。
 正規の就労時間のなかでやり切り、業後はゆっくり休んでリフレッシュし、翌日の仕事に向かう体力と気力を培う生活サイクルを一人ひとりが身につけることが大切なのです。しかし、8時間を集中して働き、自分の仕事をやり切るというのは、実際、体力が必要です。その体力を維持するのは栄養です。
 朝食は缶コーヒーですませ、お昼はコンビニの弁当、夜はガッツリいったとしても、たぶん栄養の偏りが生まれます。私の経験から、ことに朝食はしっかり取らなければ、昼まで持ちません。それ以前に仕事に向き合う気持ちも立ち上がってきづらくなります。独身でひとり暮らしの若い社員のみんなは、なかなか朝食を取るのは難しいかもしれません。早くからやっている店で食べてきたり、コンビニで買ってくるのもいいかもしれませんが、毎日のことになれば、財布にも厳しいでしょう。
 そこで一計を案じました。お昼休みでも、業後でも、自分で翌日の朝食を作っておけば安く上がるし、栄養のバランスも考えられるだろうと。みんなで作れば、それだけ食材の単価を下げることもできそうに思えます。
 こんな思いから、今回、社員食堂をプレゼントさせてもらいました。これは社員みんなの「健康」への投資です。食堂スペースはもちろん、調理設備も大いに活用し、アイデアを出し合いながら、明日の活力のための食事を楽しんでくれることを心から願っています。
▶更新日2017-11-07

時代に向き合う。


 社訓と言うと大仰ですが、長く仕事をする中で培い、じわじわと確立してきた弊社のモノづくりへの考え方、姿勢を紹介します。それは創業者である、父の生 き方そのものを話すことになるのかもしれません。ただ、そこには時代を超えて学ぶべき心がたくさんあるように思うのです。

 松浦機械製作所が誕生したのは昭和36年。今から46年前のことになります。父、松浦信一が36歳の折、現本社のある徳島市南田宮のすぐそば、北田宮に 東邦機械製作所として工場を構えたのが始まりでした。小さい頃から変わらない父の印象は、「本当によく働く人だ」ということ。
 20年後、社長職 を退いた後も加工の現場にとどまり、75歳で引退するまで休むことなく走り続けたその表情はときに険しく、 そして楽しんでいるようでもありました。現在82歳(2007年6月現在)になりましたが、やっぱり何かしていないと気が済まないのでしょうね。農家の娘だった母に教えてもらい ながら、今は田んぼで米作りに汗を流しています(笑)。
 そんな父が生まれたのは、大正14年。元号が昭和に代わる1年前のことでした。当時は「国のために、何かしら役に立つ」ことが強く求められ、また自らも そう願っていた時代。父の親や親戚たちからも「今、国には鉄や機械が必要だから鉄工所で働け」と勧められたようです。父にも、否やはなかったようで、当時 の高等小学校を卒業後すぐに鉄工所で働き始めました。
 重労働もあったようで、本当か誇張か分かりませんが「腕に筋肉がついて、太ももくらいあった」と、話してくれたことがあります。とにかく真面目に、ひたすら時代に向き合っていたのに違いありません。


機械とお客様に向き合う。


 父・松浦信一が、徳島市北田宮に現・松浦機械製作所の前身、東邦機械製作所を設立し、治工具関係金具・精密加工事業に乗り出したのは、昭和36年。私が6歳の時でした。もちろん、スタートは父一人の工場でした。地元の企業の下請け仕事をいただいて、それこそ旋盤に向かう父の姿しか覚えていないくらい、一生懸命に機械と向 き合っていました。いつだったか「職人というのは、とにかく仕事が勝負。几帳面な仕事をしていないとお客様に申し訳が立たない」と語った父の言葉が、私の 心に刻まれています。

 これまで仕事に恵まれてきたのも、きっと父のそんな思いがカタチになって、皆様に評価していただいたのに違いありません。ずっと昔、父が経験した、こんな話を聞かされたことがあります。
 「地元の取引先様から、5年間ほどの契約で大阪の企業様を紹介してもらったことがある。そのとき、『この男は10,000円の仕事をするが、8,000円としか言えない人だから、よろしく頼む』と、相手方にそんなふうに言ってくれたんよ」
 今の時代から見ると、自らを低く評価して相手方に伝えるという行動はナンセンスに思えるかもしれません。しかし、父にすれば「自分はこれだけのことができます」と力以上のPRをするよりも、仕事の結果でいっそうの満足をお客様に得ていただくことが真実だったのです。
 確かに、信頼いただくまでに時間はかかるでしょう。でも、時代がどう移ろうと、父が語ったような紹介を取引先様からいただけることは、職人として、もっと言えば仕事をする人として、最高の栄誉なのだと私は思います。 


仲間と自らに向き合う。


 父の後を引き継いだのは、26歳の時。父・松浦信一が、36歳で徳島市北田宮に東邦機械製作所を設立してから20年後のことでした。このとき、父と一緒に働いてくれていた職人さんたちは、10人ほどでした。

 会社を譲るにあたって、父曰く「会社の経営、仕事のノウハウ、お客様との向き合い方、どれくらい理解しているのかは分からない。けど、引き継ぐのは早い ほうがええ。仕事のことは、俺を見てきただろうから、後は自分が一番外側で、風の当たる場所に立って、皆様から学ばせてもらえ」と。
 引き継ぎを、新たな出発点として、社名を現在の松浦機械製作所に改め、本社も南田宮に移築しました。それまでの治工具関係金具・精密加工事業に加え、マシニングセンター、ワイヤーカットといった技術の導入を経て、今では設計、ソフト開発、電機、配線、単部品、組み立て部品、組み付け作業台、検具の受注など様々な分野で実績を重ねています。いっしょに働いてくれる社員も30名を数えるまでになりました。
 時代は変わり、国際化・情報化が当たり前の現在。かつてのような、いい意味での「のんびり」した空気を感じられる仕事は難しくなっています。けれど、ど んな時代であっても、機械やお客様、仲間、そして自らに真摯(しんし)に向き合う心が、誰もの共感を呼び、いい仕事につながるのだと信じています。
 「ありがたいお客様、信頼できる仕事仲間、あたたかい家族に恵まれた」と父は笑顔で言います。あとは「いい後継者に恵まれた」の言葉をいつか聞けることを願って、あらゆるものに真面目に向き合っていきたいと思います。